独立行政法人 理化学研究所 神戸研究所 発生・再生科学総合研究センター
2010年3月23日

2つの起源が出会い,翅が生まれた
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昆虫はそれぞれの環境に適応し、種の多様性が非常に高いことで知られている。翅の獲得は繁栄をもたらした重要な要因だが、その進化のメカニズムは未だ謎に包まれている。2つの対立する説が長い間論争を続けているのだ。一方は翅が全く新規に獲得されたとする説で、もう一方は既存の構造が変形して生じたとする説。これらの仮説は主に形態学に基づくが、段階的な進化過程を示す化石が発見されていないことなどが問題の解決を困難にしてきた。

今回、丹羽尚研究員(形態シグナル研究グループ、林茂生グループディレクター)らは、原始的な昆虫を用いて遺伝子レベルの解析を行い、翅の起源を説明する新たなモデルを示した。それによると、これまで対立概念と考えられていた2つの仮説を統合することで翅の進化を説明できるという。この研究は名古屋大学、信州大学、筑波大学、神戸大学との共同で行われ、Evolution and Development誌に3月17日付けでオンライン発表された。

イシノミの走査型電子顕微鏡像:付属肢から分岐する腹刺と呼ばれる棒状の器官と、体の側方を覆うように伸びる背板が見られる。翅形成に関わる遺伝子の発現を調べると、これら2つの構造をつくるメカニズムが共に、翅の起源に重要な意味を持つことが示された。

2つの仮説には一長一短がある。「側背板起源説」は、胸部背板の側方が新たに伸長して翅になったとするもので、そのシート状の形や体節における位置関係に翅との整合性がみられるものの、翅を動かす筋肉の由来が説明できない。他方、「付属肢器官起源説」は、付属肢から分岐して生じた可動器官が翅の起源であるとする。実際にそのような器官はいくつかの昆虫に存在するが、翅にみられる背板との連結やシート状の形態と整合性がとれない。また、どちらの説も翅が段階的な変化を化石記録に残さず、急速に出現したことを説明できない。

今回丹羽らは、形態比較に加え、遺伝子発現の観点からこの2説を検証することにした。彼らが用いたのは、翅を獲得した直後の姿を残すとされるカゲロウ(Ephoron eophilum)と,それよりもさらに原始的とされ、翅をもたないイシノミ(Pedetontus unimaculatus)だ。これらの昆虫は付属肢から分岐した可動器官をもっている。イシノミは胸部および腹部の脚から「腹刺」と呼ばれる棒状の突起物をつくり、カゲロウの水生幼虫は腹部に「気管鰓」と呼ばれる構造をつくる。ただ、これらの付属肢器官がどのような遺伝子制御によって形成されるのかはほとんど知られていない。

そこで彼らは、最も翅形成の研究が進んでいる昆虫の一つ、ショウジョウバエと比較することにした。ショウジョウバエの翅形成では、3つの遺伝子、wg (wingless), vg (vestigial)ap (apterous) が重要な役割を果たしている。wgは各体節の背腹軸に沿ってストライプ状に発現するが、付属肢の誘導に先立って体節の側方で発現が抑制される。そのため各体節では、?wgを発現する背側、?wgを発現しない側方、?wgを発現する腹側と、3つの領域がつくられる。このwgを発現しない側方領域に、再びwgvgを伴って発現すると翅原基が誘導される。この翅原基において、apは背側区画(のちの背板と翅の背面に相当する領域)で発現しており、その発現境界が将来の翅の縁を決定し、シート状の伸長を可能にしている。

丹羽らは、イシノミの腹刺とカゲロウの気管鰓の形成における3遺伝子の発現を初めて観察した。すると興味深いことに、いずれの器官も翅原基の場合と同じように,体節側方におけるwgvgの発現によって誘導されると考えられた。ただし,イシノミとカゲロウで2つの遺伝子の発現部位は背腹軸に沿って異なり、これらの遺伝子の働く位置は可変であることを示していた。さらに興味深いことに、イシノミとカゲロウのapはこれらの付属肢器官ではなく,背板に発現しており、その発現境界が背板の縁に対応していた。特にイシノミでは,ap発現境界が背板のひさし状に突出する縁の部分に一致し,かつ,そこでのwgvgの発現が翅原基のものと酷似していることが見出された。すなわち、apによって縁が決められ、wgvgによってそれがシート状に伸ばされるという翅原基の伸長メカニズムが、翅をもつ以前の原始的昆虫の背板で既に働いていたことが強く示唆された。

これらの結果は、翅形成でみられる原基誘導と伸長のメカニズムが、それぞれ本来は、付属肢で器官を誘導するメカニズムと、背板で縁をシート状に伸長させるメカニズムという別の起源であったことを示している。つまり「付属肢器官起源説」と「側背板起源説」は相反するものではなく,両方が部分的に正しいことになる。丹羽らがさらに注目したのは、付属肢器官を誘導するwg/vg発現部位の可変性だ。ショウジョウバエ、イシノミ、カゲロウにおいて、wg/vgの発現位置は側方領域内で異なっていた。丹羽研究員は、「wgのストライプが消失したこの領域は、いわば付属肢に可動器官を誘導できる自由なフィールドなのではないか」と話す。wg/vgの発現が偶然、付属肢と背板との境界で起こることで、器官誘導とシート状伸長のメカニズムが出会い、翅が形成された。そう考えれば、翅が中間段階を経ずに急速に発達したことが説明できる。

「昆虫の翅の起源について多くの科学者が関心をもってきました。長きに渡る論争を解決し得る一つのモデルを提示し、分子レベルの更なる解析の基盤を築けたことを嬉しく思います」と林グループディレクターは語る。




掲載された論文

http://www3.interscience.wiley.com/journal/123323439/abstract



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